イノベーションの知恵 of ビジョン経営の(有)ライフデザイン研究所

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野中郁次郎/勝見明

日経BP社

動物園の奇跡

旭川動物園

行動展示

動物本来の動きを引き出して見せる方法。
強制が働いていないから人気が集まる。
訓練がいらない。

存在意義

「動物が動物らしく生きている姿をありまののに伝えることで、人々を元気づける動物園にする」
自らの存在意義を問い直すと、気づきが生まれる。

理想の動物園

イメージをスケッチにして「見える化」した。

実現

スケッチに描いた施設を実現に移す時、後押しをする市長・議員が出てきた。

変革のイノベーション

実践的三段論法
大前提: 目指すべき目的がある(目的)

中前提: その目的を実現する手段がある(手段)

結論 : ならば、実現に向け行動を起こすべきである(行動)

学校の奇跡

堀川高校(京都市)

堀川の奇跡

国公立大学合格者が1年で6人→106人。

教師の役割

「教師が教え育てる」→「生徒が教わり育つ」

段取り力

仮説→検証→修正を回すこと。

生徒

改革前の生徒は「与えられる教育」で「考えること」をしなくなっていた。

学びの型

若い時は、基本的な「学びの型」をしっかり身につける必要がある。

学びの作法

Hop(1年前期): 「知る」ために必要な知識と方法を身につける。
Step(1年後期): 興味・関心の深化、拡大。「もっと知る」ための探求能力を磨く。
Jump(2年前期): 「学びの作法」に基づいて「もっと知りたい」を形にする。

エキナカの奇跡

エキュート(JR東日本)

駅の再生

「通過する駅」から「集う駅」へ

プロジェクトの過程

「異なるものを結びつける」→「摩擦や労力が発生する」→「人を巻き込んで解決する」というプロセスの連続。

鶴の一声

鉄道は、安全が最大目標なので「守り」が基本。
商業は、顧客の満足を優先するため、常に「革新が求められる。
このぶつかり合いを打開したのは、トップの決断。

特色

駅の場所貸しをトータルにとらえ、自分たちで独自に出店店舗や商品選び、売り場をつくった。

部下の育成

プロジェクトが目指したのは、「高質な売り場」。
地獄のMD会議、で部下を鍛えた。
ビジネスを展開するなかで人材を育成した。

モノとコト

駅を単なるモノではなく、コトとしてとらえたのが、すべての始まり。
「活動的存在」という概念。
・・・「いま、ここ」で起こっている経験のことをいう。

モノ
「木から落ちるリンゴ」→見ている「私」の主観には何の関係もない客観的なもの→それだけで完結しているかのよう
コト
「リンゴが木から落ちる」→「木から落ちるリンゴ」という客観と、それを見て「リンゴが木から落ちる」ということを経験をしている主観の両方を含む→「私」が介在する

モノは今日も明日も同じものである、のに対して、明日のコトは今日のコトとは違っている。
エキュートがヒットし、人気が衰えないポイントは、自分たちが仕掛けるコトづくりを陳腐化させず、常に変化させているところにある。

エキュートの三段論法

「目的」: 通過する駅から集う駅へ、駅を変える
「手段」: それぞれの店舗のコンセプトに沿って、「高質な売り場」をつくる。
「行動」: 決して妥協せずに実行する。

トヨタの奇跡

トヨタ自動車iQ

ミッション

パッケージングの革新

ヒント

コンパクト車の本場、欧州の田舎道を走り、クルマの使われ方を見続けた。
イタリアの地方空港の看板がヒント。
「全長3m未満のクルマのみ駐車可」

ターゲット

価値観やライフスタイルをベースにイメージし、個性的なものに対価を払うことをいとわない「ポストモダン」と呼ばれるゾーン

アイデア

エアコンの小型化では、3つあったスイッチを1つにした。
丸いダイヤル1つにまとめ「押す」「回す」の操作だけで温度・風量・モードの調節ができる斬新なデザインになった。

ダウンサイジングの定義を広げ、アウトプットのイメージを広げると、カイゼンの地元から発想がポンと飛び上がる。

ギャップ

目指すゴールと現状とのギャップが大きいとき、そのギャップを逆にメンバーを動かすパワーに変えるには、「理屈ではなくリーダーの熱意と情熱」しかない。

iQの三段論法

「目的」: パッケージを革新し、「究極のパッケージング」を見つける。
「手段」: 全長3mを切り、定員4人を確保できる室内の広さを実現する。
「行動」: 世の中を変える可能性があるならば、実行すべきである。

霞ヶ浦の奇跡

アサザ・プロジェクト

最大の特徴

中心のないネットワーク。
アサザという花によく似ている。
アサザは1本1本が水面に葉を広げて開花しながら、地中では地下茎を縦横無尽に伸ばして広がっていく。
そこには中心もないし、起点もわからない。
行政への住民参加ではなく、住民自身が担い手となる「市民型公共事業」を行う。
縦割り社会を「壊す」のではなく、ネットワークによって「溶かす」。
組織間の「壁」を「膜に変え、これまでなかった「よき出会いの連鎖」を生み出す。
目指すのはこれまで別々だった自然のネットワークと社会のネットワークの一本化。

活動

霞ヶ浦は70年代に入り、地域開発のため、湖岸はコンクリート堤防で覆われ、水門も閉鎖されて、海とのつながりが絶たれた。
水質は悪化の一途をたどり、魚や鳥は去り、植物は次々姿を消した。
霞ヶ浦をよみがえらせるには、環境再生の全体像を描き、多様な方面に拡散しながら、動き続けるネットワークが必要ではないか。
既存の社会や組織の境界にとらわれず、自然の生態系の単位に合わせ、自分たちで事業を起こそう。
ユニークなのはここから、リーダーは、親しい地域の小中学生数人を連れ、湖岸を歩いて調査することから始めた。
湖岸は総延長が約250km。
歩くと8日かかる。
リーダーと子供たちは、これを春夏秋冬4周した。
大人は点を分析するが、子供は全体を物語としてとらえる。
ある日、湖岸を歩いていると、数十メートル沖まで広がるアサザの大群落があった。
他の湖岸はコンクリート堤防に荒波が打ち寄せていたが、そこだけはアサザの群落で波が吸収され、水鳥が泳ぎ、岸辺にヨシやマコモが茂っていた。
かつての湖岸の風景だった。

この時から、さまざまな「動く線」が生まれていった。
アサザは霞ヶ浦の水質浄化とつながっていた。
陸地から排水とともに流れこむリンや窒素などの富栄養化の原因物質をアサザが吸収し、その葉を鳥や虫が食べ、陸地へ戻す。
自然のネットワークが水質浄化の役割を担っていた。

アサザの種子を地域に配布し、各家庭で育ててもらい、湖に植えつける里親制度を開始した。「市民型公共事業」
水辺に植えつけたアサザが根づかない箇所があった。
この解決には、漁業協同組合の協力を得て、「粗ダ消波堤が建設省の事業として始まった。

湖が喜ぶ野菜たち

漁協、加工業者、農家、流通が連携することで、外から持ち込まれた外来魚の魚体に含まれるリンや窒素が湖から除かれ、魚粉となって畑の有機肥料になり、それを使って育った野菜がスーパーで売られ、食卓に上がるようになった。
里山に蓄えられた水は谷津田に湧き出し、稲や生きものを育み、湖へ流れこむ。
周囲に高い山がない霞ヶ浦にとって流域に1,000カ所以上ある谷津田は貴重な水源地だが、多くが荒れ地と化していた。
田んぼを再生すれば、霞が浦の水の浄化も進む。
大手企業数社が社会貢献事業として、田んぼの再生に協力した。
谷津田でとれた米で地元の醸造元が酒をつくるようになった。

物語の力

個々の主体が「動く線」になると、これまでつながらなかったもの同士が結びつき、新しいコトが生まれる。
結びつけるのは物語の力。
われわれがこれまでにたどって来たのは、「大人の知性」で全体を部分に分ける「近代化の文脈」だった。
これを結び直し「物語としての文脈」により読み替える。
結び直すとまた新しい文脈が浮かび、物語が生まれる。

100年後にトキが舞う里にする

障害者福祉の奇跡

社会福祉法人むそう

看板娘

重症心身障害者。
アジアン雑貨店のレジで、商品にバーコードリーダーをあて、ニコッと笑う。
お客はその笑顔を見て、なぜか心を動かされる。

ノーマライゼーション

障害者が努力して社会参加をしていくのではなく、社会の側が障害者を包み込むことで社会参加を保証する。
重い障害を持った人たちも、地域で働きながら暮らせる仕組みをつくるというノーマライゼーションの考え方を実現するため、店をつくった。

対等な関係性

障害者も健常者も対等な関係性を結ぶことができるという考え方。
一般の人たちに多く来てもらえるよう、できるだけオシャレな店にした。
左手がアジアン雑貨店、右手は中華茶房。
→味が自慢のラーメンは人気商品。
 スープの仕込みはスタッフ。
 注文、麺ゆがき、スープ入れ、トッピングなどを障害者が流れ作業でこなす。
 障害者は状況に応じて仕事のスピードを速めたりすることが苦手。
 そのため、注文してからラーメンが出てくるまで、普通の店より時間がかかることもある。
 ただ、朝早く出勤することはできる。
 そこで、開店前に地元農家が持ってくる野菜を丹念にカットし、20種類くらいのサラダバーを用意した。
 お客はラーメンを待つ間、よりどりみどりボリューム感あるサラダバーを楽しむことができるようにした。
 普通の店のスピードに障害者が合わせるのではなく、適応力のある方がない方に適応し、なおかつどちらも同じ満足感が得られる仕組みをつくった。

個性にあった働き方

苦手の克服ではなく、個性にあった働き方を実現する。
養鶏場: エサを与え、卵を拾ったら、あとは動いていていもかまわない。
→行動障害があってイスにじっと座っていることができず、既存の施設では作業ができない自閉症者のために始めた。
生きものが苦手な人やゆったりした仕事が向いている人のためにはシイタケ栽培も始めた。
中華茶房では、水へのこだわりが強い自閉症者が得意の洗い物を続けるうちに自発性が芽生え、指示がなくても状況を見て、手が足りない仕事を自分の判断で手伝い始めた。
障害者は、もしかすると「あんたたちは何もせんでエエと労働することも取り除かれてしまったのかも知れない人たち。
仕事って本来、人に認められることで自己表現できる手段だったんだ。
多人数で画一的な支援ではなく、少人数で地域に分散し、個性に合わせて本人ができることから仕事を考え任せるやり方。

人間の生産性

人間の生産性とは何か。
それは何かモノをつくるということそのものではなく、受け手のなかで何かひらめいたり、変わったりして、影響しあうことが生産なんだ。
アーティストも音楽家も作家もそのひらめきを買ってもらう。
人間は生きている限り、死ぬ瞬間まで、人とのかかわりにおいて生産を行う。
重症心身障害者ばかりを受け入れている施設での光景。
みんなほとんど動けないか、時々ピクッと動く身体にセンサーがつけてあり、その動きに連動して編み機が作動する。
3時間で5往復する程度でも1年でマフラー1本くらいになり、それがフリーマーケットで売れると本人はニコッと笑い、喜ぶという。
障害者が無益な存在とされるのは、その人の生きている特徴がなんらかの生産に結びつく環境が整備されてないからではないか。
中華茶房によく食べに来るリハビリ専門病院の院長からは、「病気や事故で機能障害を抱えた患者にとって、障害者の活き活き働く姿が心の支えになる」と言われた。
実際、四肢にマヒが残り、生きがいを見失った患者たちが障害者と交流するなかで前向きに生きる意欲を取り戻していくと言う。

オフィス空間の奇跡

再春館

究極の大部屋

過疎の町の奇跡

いろどり

葉っぱがお金にばけた

都市の奇跡

銀座ミツバチプロジェクト

3人の男の出会い

都会の男・・・銀座3丁目のテナントビルの役員。賃貸オフィスのほか、ホールや会議室の時間貸し。単なる場所貸しから、情報発信のための場の提供へと転換するため、自社の会議室を使った集まりを各方面に呼びかけた。
田舎の男・・・茨城県で有機野菜の生産販売を行っていた。有機野菜は都会から広めたい。拠点として選んだのが銀座だった。銀座のびるの屋上で農作が出来ないかと「都会の男」と相談していた。
3人目の男・・・岩手県の養蜂家が東京のビルの屋上でミツバチを飼える場所を探していた。

3人目の男のしかけ

市民運動として自分たちで始めるなら、全面的に協力するという。
「ミツバチなんて怖くて触れません」。
上京のたびに、東京で養蜂を行っていた。
永田町の政党ビル屋上や、東京農大の飼育場所に二人を連れて行き、巣箱を開け、巣枠に密集するミツバチたちに手の甲で触らせた。

意識が変わった

働きバチの一生は30〜40日。
採蜜に飛ぶのはわずか10日ほどで、花の蜜を吸い、腹部の蜜胃に貯めて巣へ持ち帰る。
命の限り、巣と花を往復しても一匹が一生涯で集めてくる花蜜は茶さじ半分くらい。
だから人間にかまっている暇などはない。
「ミツバチは人を刺す」と思い込んでいた二人のなかで、次第に意識が変わっていった。
「自分たちで飼ってみよう」、二人は決意した。

実現に向けて

地元の説得

ビル会社の社員たちからは「ビルを管理する側が危ないことをしないで下さい」と言われた。
テナントからは「あんた頭がおかしいんじゃないか」と相手にされなかった。
それでも、テナント一軒一軒を回り、地元の振興会や踊り会、消防署、区役所・・・と何度も足を運び、説得を重ね、最後はほぼ見切り発車でスタートさせた。
06年、会議室で実施していた勉強会のメンバーが中心となり「銀座ミツバチプロジェクト」がスタートした。
3月、沖縄から宅配便で3箱、3万匹のミツバチが到着した。
入り口の巣門を開け、1時間程して見に行くと、ミツバチたちは、後ろ足に花粉団子と呼ばれる、体重の半分もある花粉の塊をつけて戻っていた。
1週間後、最初の採蜜。
巣枠を遠心分離器にかけると取り出し口からトロリとした花の香り豊かな蜜が流れ出した。
収穫は5.7kg。
メンバーたちは東京タワーや汐留の高層ビルを背景に何十本ものハチミツ入りのビンを並べて写真に収め、「銀座がハチミツの産地になった」とわき立った。

銀座は養蜂に適した場所

ミツバチが飛べるのは4km四方。
その範囲内には、西は皇居、日比谷公園、南は浜離宮があり、通りには多くの街路樹が植わっている。
皇居は種の保存のため農薬はいっさい使われず、区でも繁華街での農薬散布を控えていた。
蜜源が豊富で農薬の心配がない銀座界隈は、ミツバチにとって非常に住みやすい場所だった。

地産地消のストーリーづくり

一連の動きをマスコミはこぞって報道した。
中央区の緑地公園課の皆さんは、自分たちが整備している街路樹からハチミツが採れたことをとても喜んでくれた。
初めは危ないんじゃないかと言っていた老舗の経営者の方々も、銀座がミツバチの飛べるいい環境だと報道され、逆に誇らしく思っていただいた。
採れたハチミツは銀座の技で商品化し、銀座に来なければ召し上がれないというストーリーづくりをした。

街の自然の変化

ミツバチが銀座の空を飛び始めてから、街の自然が変わり始めた。
実をつけることのなかった樹木が受粉によって実をつけるようになった。
その実を鳥が食べに来る。
鳥は夏に発生する毛虫なども食べる。
そんな様子を目にするようになった。

意識の変化

初めは面白さに引かれ、おいしいハチミツだけが目的だった。
ミツバチがやってきて、銀座にも1つの生態系があることが見えてきて、ぼくらも環境を意識し始めた。
自然の営み、命の連鎖が見えてきたことで、ぼくらの意識が劇的に変化し始めた。

つながりが広がっていった

自分たちも生産者だという意識が芽生えてきた。
養蜂を始めて3年目になると、環境への関心からさらに踏み込んで、
毎月、フォーラムを開催し、銀座から情報を発信していった。
フォーラムには、有機農家や生物多様性の復活に取り組むグループなどのほか、農水省で環境保全型農業を推進する中堅官僚たちも参加した。
裏方でも、農水省の若手がボランティアで運営に携わってくれた。
つながりは地元銀座でも広がっていった。
「ミツバチが遊びに行ける場所を増やそう」と、近隣のビルの屋上で花畑や野菜畑づくりを行う「銀座ビーガーデン」の活動が始まった。
蜜源が増えたため、3年目の収穫量は440kgと1年目の3倍になった。